境内ぐるっと一回り
 ASUHAYAMA

大 鳥 居

道路脇の大鳥居


昭和11年4月、門司市の片岡勝廼氏の寄進


狛  犬

大正15年
石工:黒田九一

足次山神社の狛犬は大正15年4月に氏子らによって奉献されたものです。
その姿は犬というよりも唐獅子です。右側が口を開いていることから雄、口を閉じている左が雌です。


歌  碑

ことしより数をかそへて
   君がため八千代をつまむ 
             くらかきの山

詠人は内蔵権頭備中国主基善滋朝臣為政で、平安朝の天皇に使える高級官吏のお公卿さんです。
時も同じ後一條天皇の御代長和5年(1016年)11月の大嘗会の和歌集に載せられています。


古 札 納 所

古いお札をお返しする納所です。


拝  殿

拝殿は平成12年4月に本殿の修復と共に建て替えられ、同年9月に完成しました。
写真のしめ縄は新講当番が毎年、秋季大祭の前に奉納しています。


手 水 鉢
 拝殿前の手水鉢です。
 倉掛と夏目の氏子らによって設置されたことが南側に刻まれた文字からうかが
 えます。倉掛がその昔、「倉垣」と呼ばれていたことも一目瞭然です。


春 日 神 社

拝殿の南に祀られている春日神社。


八百万の神々ほか

お百度参りの数を確認する石碑


掲 示 板

祭りの日程などが貼り出されます。


社 務 所 入 口

社務所は本殿の北側にあります。
2階には広い和室があるので、ちょっとした会議にも利用できます。

申込は川相肇総代長(62−5626)



忠 魂 碑

忠魂碑:大正12年10月建立
戦没者連名碑:昭和45年10月建立

井原市戦没者碑文
「今日、日本の繁栄を静かに顧みるとき、その陰に幾多の戦役において身命を国に捧げられた人々を忘れることは出来ない。
ここに勇士の芳名を刻み、その功を永遠に伝える」 井原市長 山岡 f

旧井原市戦没者=1379名
    木之子地区=116名
    県  主地区=81名
    井  原地区=394名
    稲  倉地区=104名
    大  江地区=82名
    高  屋地区=159名
    青  野地区=83名
    野  上地区=61名
    西江原地区=162名
    荏  原地区=137名
    ※ 井原地区は現在の出部地区を含みます。


枝 益六先生 頌徳碑

大正10年10月建立

枝益六先生は井原小学校の前身である元之(げんし)小学校の校長として赴任。井原地域教育界の基礎を築いた。夫人アサと共に明治19年、県内では2番目、全国でも10番目となる井原小学校付設幼稚科を開園した。

井原歴史人物偉人伝ビデオ=枝益六


柴原宗助の胸像
昭和4年4月建立  初代井原町長(明治31年〜同38年)を務めた柴原宗助の胸像。かつての銅像は戦中に供出され、後に遺族が胸像を寄贈した。
井原歴史人物偉人伝ビデオ=柴原宗助
 


遊  具

昭和30年代半ばに造られた滑り台、ブランコ、鉄棒など。
滑り台は平成12年に解体される予定でしたが同年9月、倉掛14組江草敏夫さんがステンレス板で補修し、再び使用可能になった経緯があります。


岡山県十勝地 山陽新報社選

昭和10年11月、山陽新報社(現在の山陽新聞社)が岡山県内10ケ所の景勝地を選んだもの。
大鳥居北に設置されており、岡山市三野公園、笠岡市古城山、総社市清音の福山城跡などに同じ碑があるそうです。
小田川堤を含めた桜の名所ということでしょうか。
山陽新報「井原の桜」